My Lost Face
〜顔面神経麻痺との闘い〜

序 〜あの日〜

 

 2003年1月3日・・・あの日・・・ミュージカルを2公演終えた後だった。

 

 

 まともに休みをとった記憶がない。ミュージカルの公演は、月に40公演を越える場合もある。1日に3時間を超える公演を2回おこなう日が、月の約半分。ただ、全公演に出演する必要はない。エキストラを立てて、お休みすることができる。でも、そうやって休んだ日は別の仕事に行く。大学でのレッスンは週に1回のペース。レギュラーのアンサンブルのツアー。オーケストラのエキストラとしてアカデミックな作品に取り組んだり、現代音楽の難解な楽譜と格闘することもある。吹奏楽やトロンボーンセクションの指導に中学校や高校にお邪魔することもある。それが「フリー」の仕事だから。

 スケジュールをジグソーパズルのように埋めていくことで、フリーのトロンボーン奏者としての自分に満足していたのかもしれない。また、いかに過酷な環境下でも必ず結果を出せるかが、プレーヤーの価値だと思っていた。どれだけ「無理」がきくか・・・それが、トロンボーン職人である自分の評価を決めると・・・

 「限界」は、それがくるまで分からなかった。

 

 

 クラシックの世界では考えられないような大爆音の公演が終了した後、下唇の裏にいつもと違う感覚を覚えた。髪の毛か糸くずが入り込んだような妙な異物感があった。
「唇の裏がシビれてるってことある?」
「ありますよ。大きい音とか出した後とか・・・」
何気ない同僚との会話。新しい劇場に移って2日目。これから1ヶ月以上に渡る公演はスタートしたばかりだった。そういえば、日付が変われば誕生日・・・干支は3巡して年男かよぉ・・・

 電車で1時間、帰宅したが、依然唇の違和感は残っている。・・・もしや、麻痺??あり得ないこととは思いながらも、一瞬最悪の状況が頭をよぎった。同業者でもある妻に「なんかおかしくない?」・・・百面相してみせるが、「全然。気のせいだよ。」「そうかなぁ。」心配になって楽器を組み立てて吹いてみる・・・3時間吹きっぱなしのステージを2回やってきた後では、調子がいいわけはなかった。

 何か良からぬ事が起こっていることを確信したのは入浴中だった。歯磨きをして口にいっぱいの水を含み、右・・左・・右・・・・量はごくわずかだが、水鉄砲のように水が飛び出す・・・これは!?・・・しかし、鏡に映った顔に明らかな異変は感じられなかった。「麻痺かもしれない。」その不安は、「気のせいだよ。疲れてるだけだけだよ。」で慰められる。ひとまずこの時は。

 不安の中でなかなか寝付けない。それでも、ウトウトして次に気がついたのは午前4時。うがいをしに水場に行って愕然とする。水を含むことができないのだ!左の口角から全部出ていってしまう。「麻痺」に間違いなかった。とんでもないことが起こってしまった!どうすればいいんだ?仕事は?だいたい今日の本番どうするの?エキストラの手配・・・事務所にも電話しなきゃ・・・でも、こんな時間だよ!この顔治るのか?病院・・・どこにいけば?すぐ行けるのか?診療科は何科?そういえば、XXXさんも顔面麻痺になってたよな・・・どうすればいいのか聞かなきゃ。妻も起こして大騒ぎ・・・さすがに、この時は、顔に異変が起きていることは一目瞭然。口角が下がり、眉が上がらない。左側はまばたきもできなかった。

 

 

 小学校の5年生の時、学校にはじめて金管バンドができた。各クラスから数人が音楽の先生に呼び出され、やってみないかと勧められた。芸術や文化とは、とんと無縁な家庭に生まれた私だったが、その当時内輪では「およげたいやきくん」の前奏を鍵盤ハーモニカで弾くことが流行っていた。妹がピアノを習い始めた。外で元気に遊んで怪我するよりは、家にこもって何かしている方が好きな軟弱な少年だった。音楽は嫌いじゃなかった。そんないろんなタイミングのいたずらで、金管バンドに入ることを承諾してしまった。
 「トランペットをやりなさい。」・・・形くらいは知っていた。「トランペットの人は、個人で楽器を買ってもらいます。おうちのかたに相談してみてください。」んん!?国産メーカーの一番安いトランペットで、当時3万円ちょっとだったかなぁ。歌を歌っているのすら見たことがない両親が、それを承諾するとは思えなかった。案の定、玉砕した。買ってもらえなかった子供達と体格の大きい子供達は、揃えたばかりの学校の楽器・・・打楽器か低音楽器に「回され」た。

 トロンボーン・・・初めて見た。

 はまった。
 何故だか分からないが、わりと上手に吹けちゃった。ちょっと褒めらて調子に乗った。

 そして、道を誤った(∋_∈)

 

 中学・高校、思いっきり吹奏楽小僧。中学2年生の時、今なら絶対自分の生徒には勧めないような中途半端な楽器を、頼み込んで買ってもらった。全く情報のない田舎でカタログから独断で選んだ。トロンボーンで個人持ちの楽器を持っているのは自分だけだった。高校生になって音楽の方面に進むことを決め、レッスンに通うようになると、当然この楽器はクビになった。

 親を騙すのは大変だった。国立の大学を出て、理工系の職業でまっとうな人生を送って欲しいと思っていた両親にとって、当時まだ「女のやるもの」みたいな「音楽」にはまっている私は、金喰い虫の超バカ息子だった。音楽大学への進学は選択肢になかった。「東京の教育大学の音楽科に入って、音楽の先生になるから。」それでなんとか騙せたが、私立併願はありえなかった。絶対に落ちたと思った大学入試だったが、某国立大学は、そんな事情を知るはずもないのに、入れてくれた。

 

 

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